創刊の辞

日本の戦争責任資料センター代表 荒井 信一(駿河台大学教授〉

 戦争が自然の諸力の闘争ではなく人為的な現象であることが、現実政治のレベルで認識されるのは、今世紀初めの第一次世界大戦からである。この認識は、祖国への献身を強要され総力戦のあらゆる負担を負わされた民衆の戦争に対する批判や、反戦運動と関連して生じたものであった。その結果、戦後のヴエルサイユ講和条約では、ドイツの戦争責任が明記されるとともに、国際道義と条約の神聖を汚した最高犯罪人として、ドイツ皇帝を裁判にかけることも規定された。
 これらの規定は戦争が人為的現象であるばかりでなく、戦争によりもたらされた一切の損失や損害についても特定の国家や個人が責任をとらなければならないことをも明らかにした点で画期的な意義を持った。しかし、その半面講和条約がドイツの戦争責任について規定した背後には、ドイツから莫大な賠償金をとりたてて自国の復興にあてようとする戦勝国側の利己的打算があったことも事実であった。そこで戦後のドイツ共和国では開戦原因にまでさかのぼって戦争責任がむしろ戦勝国側にあることを主張しようとする試みがさまざまな形で行われた。
 1871年以来のタイムスパンの中でこれまでに公開されなかった外交文書を編纂した『ヨーロッパ諸政府の大政策』という四〇巻に及ぶ大資料集の公刊がはじまる一方、戦争責任問題研究センター(Zentralstelle zur Erforschung der Kriegsschurdfrage)が設置され、1923年からはその機関誌として『戦争責任問題』が刊行された。これに対し戦勝回側もそれぞれ外交文書集を刊行し、資料にそくして「本来事実はいかにあったか」を明らかにしようとしたので、「戦争責任論争」が起った。
「戦争責任論争」は歴史家を中心とする学問的な論争であった。しかしナショナリズムがまだ強く人々の心をとらえていた時代であったので、それぞれに自国の正義の弁護にかたより勝ちであった。とくにドイツでは戦争責任の免罪を主張した公権力が大々的に介入したため、戦争責任問題の自由な究明と展開は阻害された。そしてそのことは、ナチズムの台頭と世界戦争の再発をたすける一因ともなった。
 しかしここで重要なことは、戦争責任の究明が、学問的な手続きによる事実の解明を基礎として行われようとしたことであり、各国政府もまた秘密にされてきた外交文書等をすすんで公開し、学問的解明をたすける姿勢を示したことであった。
 現在わが国で問題になっている戦争責任問題にしても、責任の自認と謝罪を単なるリップ・サービスに終らせないためには、まず事実関係を明らかにし、誰が誰にたいしどんな責任を負うのかを明らかにすることが必要である。そして政府はこれをたすけるために、すでに50年前のできごととなろうとしている過去の戦争に関する記録や資料をすべて公表することが望ましい。また真理の解明のためには自由な論争が不可欠であるが、政府はこれに介入することなく、むしろ論争が自由に行われることを保証し、その結果得られる学問的結論を尊重すべきであろう。
 しかしわが国の現状は必ずしもそうなっていない。歴代首相のうちでかつて戦争が「侵略戦争であった。間違った戦争であった」と明言したのは、この8月成立した細川内閣がはじめてであった。10年前までは文部省は教科書検定を通じて「侵略」を「進出」といいかえさせていたし、その後も最近に至るまで戦争の評価については教育的配慮の名のもとに介入して、学問の自由を阻害する態度を続けてきた。資料公開の問題にしても、今回の従軍慰安婦問題についての日本政府の第二次資料調査結果の発表に関してわれわれの指摘したように数千冊の軍人の日誌類をはじめとする防衛庁資料、朝鮮・台湾に関する拓務省・内務省資料、厚生省、労働省、大蔵省の資料など真相解明の上できわめて重要な資料が公開されていない。
 一方、戦争責任問題に関する真相の究明は、被害者にたいする陳謝、金銭的物質的補償、再発防止措置などを含むいわゆる戦後補償問題の解決のための出発点である。これまでも真相解明や一連の補償措置を抜きにして、一定の金額を見舞金などの名目で支出して補償問題を一括して処理しようとしたわが国の姿勢は、戦争の被害をうけたアジアの人々などから、むしろ反撥をうけてきた。
 日本の新政権が、戦争責任の認定と謝罪とを新しい政治的進路の入口におこうということであれば、それを具体化するためには、まず誠意をもつて事実の究明に当ることが必要であろう。しかし、これまで2回にわたって公表された従軍慰安婦に関する政府調査の結果を見ても、われわれは率直にいって、官僚機構を通じての調査の限界を感じざるをえない。またこの種の戦争被害の究明には、被害者からの聞き取り等、いわゆる「オーラル・ヒストリー」の手法が必要であるが、これもようやく手をつけられはじめたばかりである。
 従軍慰安婦の問題は、今回の政府調査発表によって日韓の外交問題としては一応の決着をむかえることとなろうが、国連等の人権機関の動きや、被害者による補償裁判の進行によって、国際的な人権、人道の問題としていっそう発展するであろうし、日本政府は戦後補償問題についていっそうきびしい対応を求められることになるであろう。
 われわれが憂慮するのは、真相究明にはじまり再発防止措置にまでいたる一連の補償措置の追求を抜きにして、基金の設立など金銭的措置のみでお茶を濁すような対応を行った場合には、戦争被害者をはじめ世界の心ある人々の反撥を招くばかりか、日本という国家の道徳的あり方について深刻な擬念を生みだし、世界政治における日本のリーダーシップそのものを脅すことになりかねないということである。
 われわれは、以上のような課題が単に日本の政府、国会のみでなく、日本の国民に負わされた課題であることをも自覚し、民間の立場で真相の究明を中心に戦争責任問題、戦後補償問題の解決に必要な研究を行うことを目的とし、今回機関誌として『季刊・戦争責任研究』を刊行する。大方の支持をお願いしたい。


季刊 戦争責任研究 総目次へ